< 『Parade』

  • 2008/07/09(水) 06:17:33


自分で写真を見ていてもなんか違う。

俺は才能ないかもしれん。


つーよりない。


全然ダメ

ずーーん

道は険しい





  • 2008/07/08(火) 21:16:20


しかし今の俺の状態(写真関連の能力)は

俺の中ではまだ二割かそんなもんだな。
まずはコンデジマスターを目指す。
次は一眼レフを使う。

その前に遠くに行ける体力が必要だけどね。
(今は電車に乗れる時間は大体15分が限界。これをまず30分にする)


正直もう身近に撮りたいものがあんまりないんだよなぁ。

ちなみに好きで草木ばっかり撮ってるわけじゃないよ。
周囲にはそれしかないんだよ(苦笑)


冬辺りには体力も少しは回復しているといいんだけど。









  • 2008/07/08(火) 18:14:03



まあ俺がチベットに肩入れするのもそんな感じだね。

アウトサイダー繋がり。

俺の場合は出来が悪くて、社会から弾かれたけど、
チベットの連中はあまりにも「まとも」過ぎて世界から弾かれた。

歪んだ目で見つめると、純粋な信仰心も只の狂信者の妄言だ。

中国に行くとブッシュは大国の元首として大いに歓迎されて、
ダライ・ラマは反乱者、殺戮者として扱われる。

結局ダライ・ラマもアウトサイダー。

彼の純粋さは世界には合わないのだろう。



  • 2008/07/07(月) 18:01:50

日本人はネットで顔を晒さない。

その割にはやたら偉そうだったりする。
顔も晒せない。その度胸もない。

そんな奴の意見なんて誰にも届かない。
少なくとも俺には何の価値もない。

だから俺は日本人とは合わない。
(これは一般論として)

ちなみにオレの写真はMySpaceのアルバムに入ってるよ。
アイコンは気分で変えてるだけ。

プロフィールのアイコンってその人の象徴じゃない。
それが魅力のない時点で俺には興味が湧かない。


特に芸能人の写真とかを使うのは最悪。

別に適当に携帯で撮った写真でもいい。
顔が嫌なら家にある物でも何でもいい。

オリジナルはそれ自体で既に価値がある。


今オレの机の下には一本のボールペンが落ちている。
何処でも買える安物で、これを持ってる人はオレ以外にも多分幾人もいることだろう。

だが今この机の下に落ちてるボールペンを撮影できるのは俺だけだ。
俺の部屋にあるのだから当然だけど、
世界中で撮影できるのはこの俺だけだ。

これがオリジナル。

どんな権力者でも金持ちでも、今ここにある俺のボールペンを撮影することは出来ない
(仮にそういう輩が俺の家に無理やり侵入しようと試みた場合には、その前に俺がこのボールペンを叩き折る)




借り物は所詮借り物。
いくらかっこよくても所詮は借り物。

其処に心はない。


ちなみにジュディマリのYukiの写真は日本人の女性に人気があるね。
彼女の写真をプロフ画像に使う人は多い。

前にMySpaceのアルバムに入ってるそのYukiの写真を見て、それを本人の写真だと勘違いした外人男が、
「You're cute」とか言って褒めてる姿には笑ったけど(苦笑)


それとプロフに載せる自分の写真なんて、
光や角度を計算した詐欺写真でいい。
日本人は真面目だからそのままを写したがるのかも知れないけど、

世界はそうじゃない。

外国の女性の技術は凄い。
プロフの顔写真と普通の写真がまるで別人なんてよくある事。

どう写したらこんなに美人に撮れるのかが
不思議で仕方がないというケースもよくある。

だけどそんなことはどうでもいいんだよ。

その努力の過程もオリジナルなんだから(笑)





非言語性LD

  • 2008/07/05(土) 16:08:33

山田花子と非言語性LD

どうも俺は非言語性LDのようなので、今それ関連を調べている。
↑の本は漫画家で若くして自殺した方の事を書いた本らしいけど、
その方も非言語性LDであり、その観点から書かれた本のようだ。

やはりまず脳の構造上先天性の非言語性LDというものがあり、
それが一般社会(人間)との乖離や確執を生み、
その過度のストレスから精神障害をきたす。というのがベターな解釈だな。

そう考えると俺のボーダー的特性は後天的なものなのかも知れない。


そして非言語性LDを分かりやすく再度説明させて貰うと、

上記のような文章を俺は書ける。そういう人間だ。
そして自分で書いている以上その内容も無論理解している。

しかしこのような文章を書けても、小学生レベルの算数や工作(何かを組み立てるとか)は出来ない。


これが非言語性LD。


当然これだけの文章を書ける人間が、小学生レベルの問題を解けないと
周囲はどう解釈するか。

真っ先に思い浮かべるのが「やる気がない。不真面目」などの負の印象や感情だろう。
まさか本当に出来ないという発想には至らないと思う。


俺の社会との確執とは万事このようなもので、真剣に書いた文章がふざけていると
捉えられたり、熟慮の末の行動が思慮のなさと解釈されたりする。
(つまり微妙なズレ)

なまじ対人能力が高い分、その反動による嫌悪感は大きいと予測される。
(されるというのも俺には当然非言語性LD以外の感覚は解らないのでそうとしか云えない)


まあこの歳でそういった事に対する原因が分かったのは大きい。
孫子の兵法書ではないが、彼を知り己を知ればなんとやら、だ。

その点はポジティブに捉えているよ。


しかし結局社会で必要とされる人間の一番の要素とは、
その社会基盤の安定に必要とされる 「生物の脳の構造」 に行き着くのだな。

人間が生きる上での重要な要素だとされる 「教育」 というものも
所詮はそのような社会の部品を作る為だけに存在しているのかも知れない。


俺がデカルトを嫌うのもそれだ。
コギト・エル・ゴスムでは俺には何の救いにもならない。



ちなみに著名人だと、トム・クルーズやオーランド・ブルームがLDとして知られている。
(オーランド・ブルームは台本を読めないらしいので、まずスタントマンが先に演技をし、
それを見てからそのまま真似て演技をするようだ。オーランド・ブルームも若い頃はそれで相当苦労したらしい)


巷では個性が大切だとは謳われているが、俺のような人間の個性を否定してきたのが
その社会及び、それに所属する人間達だ。

正直並々ならぬ恨みがある。

だが非言語性LDは頭の回転が速い分、そのような憤りを反社会的な行動で表すのを
好まない。(だからグレない)

その結果自分の身体にダメージが来る訳だ。

そしてそこまで理解していても、俺にはたいして利点がないというのが
まさに俺の好きな言葉そのままの

「諸行無常」の世界なのさ。